私の生い立ち 小学校入学このあたりから、おぼろげですが、記憶があります。小学校に入学したものの、体が小さく、皆について歩いて行くことすら苦行でした。何より苦痛だったのが、体育と給食の時間です。偏食かつ小食だった私は、食べられるものがなく、しかも山盛りの給食を見るたびに気が遠くなりました。牛乳一本をやっとの思いで飲み干すと、もう満腹です。パンをすこしかじるのが限界でした。好物が出ても量が多すぎて、食べられません。あの時代は「好き嫌いなく全部食べるのがいい子」でしたから、毎回残されて、先生に監視されました。朝食の時間ですらおなかがすかないのですが、「食べないと大きくならない」と児信じている母が監視しています。もたもた食べると言っては怒られ、はしの使い方がなっていないと言っては怒られ、地獄でした。近所の子が「学校行こうー。」と迎えに来ると開放されるので、窓の方を見て「れいこちゃんこないかな・・・」と思いをはせ、よそみをしたといってはまた怒られました。 食事の時間は苦行の連続で、楽しい思い出はありませんでした。 ランドセルを背負って歩くこと自体が難しく、(当時の体重は16キロ)登校するだけでエネルギーがなくなりました。体育ではまず体力がない上、口頭での指示を理解して動くことができず、叱られるか笑われるか迷惑がられるかのどれかでしかなく、苦痛の連続でした。これは学生時代ずっと続きました。 入学時にはかなりの数の漢字が読めるようになっていました。6年生の女の子が「これ、よめる?」と差し出した6年生のドリルの問題を解いて、感心された記憶があります。しかし私の場合漢字が理解できることと、日常生活のレベルとがあまりに違いすぎ、回りからは誤解を受けるもとになりました。 ジャンル別一覧
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